けつねこんこん
記事編集:尾崎を語る会会員
上杉太郎
尾崎の町中にある「ノット」は公園が出来るまでは、それはよい遊び場でした。
ここは昔神功皇后が三韓征伐の帰途、強い東風を避けるために、岩の上に登り帰路の無事を祈ったところで、
祝詞を上げられたところから、「ノット」となずけられたと伝えられています。
秋の祭礼は、賑わいを見せています。
大正十年(今から約八十年前)まで、高い板塀で囲まれていました。
その板塀の内側に、太い松の木が二十本以上もあり、宝崎神社の岩の西側には、深い洞がありました。
その板塀の内側に、太い松の木が二十本以上もあり、宝崎神社の岩の西側には、深い洞がありました。
洞はいつも暗く、松の茂みに一層不気味さを加えられていました。
小雨の降る夜でした。
結婚式祝言帰りのご馳走を手に酒の入った足元をよろつかせながら、あるおじさんが、ノットの近くにさしかかりました。
もうみんな寝静まった真夜中。
そのとき美しい娘さんが、門の所に立っているのが目に入りました。
かねて人伝えに聞いていた《けつね》だと思い出すと、ぞっとして、何処をどお走って帰ったかわからない程の慌てようで、家に飛び込みました。
帰って水を一杯のみ、気を落ち着けて手にしたごちそうの包みを開けてみると、そこに入っていたはずの揚げどうふが、一片が無くなっていました。