浅野長矩侯の書、りくの手紙など
記事編集:尾崎を語る会会員
その時の資料を一部、掲載いたします。
浅野長矩侯の書
静かに座して常を知ると読める。書を知る人の言葉では、若年の頃の字ではないかと。
神宮寺の当時の住職である圓順師に言われて、書いたものではないでしょうか!
後から考えると、刃傷の時は、この言を忘れての行為かと。
大石良雄夫人”りく”の手紙
同じく大石良雄夫人“りく”の実父、豊岡藩の家老、石束源五兵衛から同じ年、討入りの翌年1月16日のもの。内容からみて、討ち入り後、その成功を喜び幕府の裁きを心配している様子が伺える。
何れにしても大石良雄の離縁は、事件を前提としたもので、その次男・吉千代が難を避けるため僧籍に入れ、「祖錬」と号したことが分かる。祖錬は、僧籍のままで宝永6年19歳で没している。
遠方思し召し寄り、飛脚下され文忝く存じ参らせ候。仰せの如く年初の御祝儀目出たく存じ候。其れ様御息災に御年重ねられ候由。お目出存じ参らせ候。誠に美しき柿ー折送り下され、忝く其処許の物と存じ候えば、一人珍しく賞翫致し申し候。江戸より何の御様子も 承り申さず候。比の上の首尾のみ案じ申し候えども、本望遂げられ候御事喜び候えば、鬼角天道次第と存じ居り申し候。今に御祈念成され下され候由忝く存じ申し候。兎角御祈念故と有難く存じ参らせ候。めでたくかしこ。
猶々比処計皆々無事に致し候故、御心安く召し下さるべく候。祖錬儀も無事相届け候由に御座候。御報御音信物ども相届け申すべくと存じ参らせ候。猶重ね重ね申し承り候べく候。めでかしく
正月十六日 祖錬母より
神宮寺様申し給え
“石束源五兵衛”さんの手紙
未だ御意を得ず候えども、一筆啓上致し候。仍而今般祖錬母子御見廻と為て遠境頭御飛札、御尋ねに預り候由、誠に御心入れの程拙者に於ては忝く存じ候。貴寺の御事兼ねて承るに及び候。倍御堅達に御春迎珍重の御事に候。江府(江戸)に於て本意を遂げられ候、衆中の趣、御快と思し召し候。御旨其の意を得候。尤もに存じ候。拙者儀、子細御座候て、比の節離縁の体に罷り在り候えども、諸事に付き心底御察し成さるべく候。比の届に至る迄相違わざる御志の程感心に銘じ御礼を為すこと比の如く御座候。何様折り以て貴面に及ぶべく候。恐惶謹言
正月十六日 石束源五兵衛
神宫寺
机下