宝専寺について

記事編集:尾崎を語る会会員

宝専寺について

村上順照

龍王山宝専寺は、往昔真言秘密の霊場として、尾崎村の東北の山上(寺山より如来寺に至る)に七処の精舎がありましたが、時運衰頽して、唯、二ケ寺のみが残りました。

一を「龍王山専福寺」と号し、一を「龍馬山観音寺」と称していました。

後奈良天皇の御宇、即ち天文五丙申春、今から大体四百五十年前、専福寺の住職正善房が、摂津東成郡生玉庄大阪の御坊において、本願寺第十世澄如上人に受化し、直ちに改宗、開基本尊並に寺号を免許され、専福寺を改めて龍王山宝専寺と号し、正善の字を改めて正空と名づけました。

寺に帰って道場を改めて建立しょうとしましたが、山路径曲にして老弱の人々の参詣に便が悪いので、仏閣を現在の地(村の中央)に移して、本尊を安置して、浄土真宗の道場としました。

其の後三世を経て寛文年中に、本願寺より特別に一寺二住職の免許を得て、尾崎地区を東西に二分し、斯波(東院)村上(西院)が各門徒の法務教化を分担して法耕の任にあたることになり、一年交代の年番制で宝専寺の寺務を処理することになったようです。

一寺二住職の寺は全国でも珍らしく、他に例を見ません。

















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